「老人力(赤瀬川原平著)」お気に入り文章('99.10)           

少し前に、かなりの反響を呼びました「老人力」(赤瀬川 原平著)より、小生がとても気に入っている文章を一部抜粋し、紹介します。

■ 〜ふつうは歳をとったとか、モーロクしたとか、あいつもだいぶボケたとかいうんだけど、そういう言葉の代わりに「あいつもかなり老人力がついてきたな」というふうにいうのである。そうすると何だか、歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい。

■ 〜そうじゃなくても、やはり長老(僕はこの仲間内でそう呼ばれている)をボケ老人と呼ぶのはちょっとまずいな、自分たちも無縁ではなくなってきてるし、みんなどうせボケていくんだから、もうちょっと良い言葉を考えよう。ボケ老人というと何だかだめなだけの人間みたいだけど、ボケも一つの新しい力なんだから、もっと積極的に、老人力、なんてどうだろう。いいねえ、老人力。

■ 〜老人力というのはそういう大人物のような要素をぽーんと与えてくれるのだ。人間の、長い社会生活で培われてしまったコセコセ力を、少しずつ殺ぎ落としてくれるような気がする。

■ 〜老人力という言葉はよく誤解される。老人に残された力、という誤解が多い。ちょっと重い荷物を前にして、「いやあ、このくらいの物、まだまだ老人力で頑張りますよ」というようなこと。それで持ってみてぎっくり腰になるというのは、単なる力の欠乏で、結果としてはいわゆる年寄りの冷や水で、そこでいう力は老人力とは違うのである。

■ 〜お茶の世界で、侘びとか寂という言葉がある。作り立ての新品ツルピカではなく、それが長年使われて、少し壊れたところが補修されたり、少し汚れがついたり、染みが広がったりして、えもいわれぬ味わいが生まれる。〜(中略)〜 日本的な美の感覚いうか、美意識といいますか、古来より侘びとか寂と呼ばれてきた感覚があるのだけど、あれは実は老人力だと気づいて、なあんだと思った。

■ 〜老人力は味わいを生む力だということ。だから古くなってダメになればそれはみんな老人力、というわけではない。古いのが故の快さ、人間でいうとボケ味、つまりダメだけど、ダメな味わいというのが出るところが老人力だ。そこのところ、アメリカ人には絶対にわからないだろう。

■ (Q)老人力とはどんな力なのか、簡単にご説明願えますか? 
(A)まずボケですね。ボケて名前を忘れたり、約束を忘れたりする。でも忘れることは忘れてるけど、それで頭はかえって開かれてくるってこともあるんです。

■ (Q)これからの日本は、いわば老人力あふれる高齢化社会になるわけですが。
(A)みんないよいよ自分自身の問題ですね。まあ自分にいらないものは捨てて、スリムになっていく。どんどん忘却力を鍛えて(笑)。そこで問題になってくるのは、何を捨てるのか。酒や食べの物の量は自然に落ちてくるにしても、それまで溜め込んでいた物を捨てていくしかない。膨大なコレクションだったら、どこかに寄付するとかね。

以上、「老人力」(赤瀬川原平著)より、一部抜粋しました。



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